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【鍼灸マッサージ師】天津留学通信43 ~中医学の別称「杏林」とは?~

2015年07月08日

東京は雨続きの梅雨ですが、6月の天津はどんな空模様でしょうか?今回は中後さんより6月のレポートをお届けします。
 

日本は連日の雨模様の季節でしょうか?天津は冬場に比べると、雨が降ることが多いですが、梅雨のように1日中、何日にも渡って雨が降ることはありません。
6、7月は中国では卒業のシーズンです。卒業予定の学生さん達が、アカデミックドレス(と言うそうです。欧米などの卒業式で見る角帽と黒いガウン)を着て、記念撮影をしている姿をよく見かけます。春先の卒業式に慣れているので、多少の違和感を覚えますが、皆さん清々しい笑顔で、見ているこちらも晴れやかな気分になります。


中国語学習進捗>
6月29日の週に語学の最終試験が行われました。これで語学の授業は全て終了となりました。
通常は教科書に基づいた内容なのですが、口語の試験ではその内容に追加して、先生の質問に答える事と、状況を決めて二人一組での会話、という二項目が追加されました。
具体的には、私の場合「あなたの母国(日本)の交通手段で一般的なものは何か、またその交通手段において中国との違いは何か。」について先生にたずねられ、また二人での会話の状況は「病人を見舞う際の会話」でした。
どちらも何とか対応することが出来たのですが、もちろん免許皆伝という訳ではなく、各々に先生から今後の課題を告げられて授業終了となりました。私は、発音や単語数も以前と比べてよくなったが、質問をされてから答えるまでの間が長い、という指摘を受けました。

現段階では、

中国語の質問→日本語に訳して理解→日本語の解答を考える→中国語に翻訳→実際に発言する

という状況で、しかも「日本語の解答」を思い浮かべても、それに対応する単語力や表現力がまだまだ不足しているため、実際に言葉にするまでに時間がかかってしまいます。個別に夏休み中の課題を頂いたので、9月までの休み中も気を抜かずに語学習得に励みたいと思います。

<杏林
テスト前の通常授業では、教科書の内容が全て終わっているので、中医学に関するテキストの読解をしました。その中で、とても興味深かったのは、中医学の別称に関しての話です。私は浅学のため知らなかったのですが、中医学には沢山の別称があるようで、その中の一つに「杏林」という呼び方があります。中国で医学に関わる人は必ず知っているようなので、蛇足ながらご紹介させていただきます。

三国時代、呉の国に董奉(とうほう)という有名な医者がいました。董奉は医学に精通しており、彼の手にかかれば難病も立ち所に快復しました。そのような噂は直ぐに人々に広まり、診療所には連日沢山の人々が訪れました。董奉は患者さんに、治療代を要求しませんでした。その代わりに、病気が快復したら、症状が重かった人は5本、症状が軽かった人は1本の杏の木を、自分の家の周りに植えるようにお願いします。すると数年後、彼の家の周りは杏林になりました。
その後、杏の実が熟すころになると、その実を買いたい、という人々が現れました。そこで、董奉は杏の実と同じ重さの粟と交換してもよい、と言いました。それを聞いて、人々は不思議に思い、董奉にこう尋ねました。「あなたの家族は多くないですよね?なぜそれほど多くの粟が必要なのですか?」、董奉はそれには直ぐに答えず、人々が帰ると、杏林の近くに粟を保存するための倉庫を作りました。数日後、倉庫は沢山の食糧で満たされました。すると、董奉は人々に「この粟は生活に困っている人の物です。日々の食糧がない人は、この倉庫から自由に持っていきなさい。」と言います。この言葉を聞いた人々は、益々董奉を尊敬し、その行動を賞賛したそうです。

以来、人々は杏林を見ると、董奉の逸話を思い出し、いつしか「杏林」が中医学の別称になったそうです。

日本にも、同名の製薬会社や大学がありますが、どうやらこの逸話が由来だそうです。董奉の行いをそのまま真似ることは、現実的には難しいとは思いますが、その精神は受け継いでいきたいと思いました。


今学期は今回の報告で終了です。折に触れて書かせて頂いておりますが、この一年間を過ごすにあたり、後藤学園の兵頭先生を始めとする諸先生方、日本人留学生の諸先輩方、天津中医葯大学の先生方、などなど沢山の皆様にお世話になりました。本当にありがとございました。心より御礼を申し上げ、一年間の結びの言葉とさせて頂きたいと思います。
中後政則