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中村 謙太郎

病院や医療施設だけでなく、活躍の幅を広げていって欲しい。海外での活動を経て、新島村で働く理学療法士。

理学療法士

中村 謙太郎 さん

リハビリテーション学科 2000年卒業
新島村さわやか健康センター勤務

  • 卒業生

理学療法士をめざしたきっかけ

高校生のとき、重度心身障害者通所施設へボランティアに行きました。そこで、喜怒哀楽を自由に表現する障がい者の方々に興味を持ち、高校卒業後は社会学を学ぶため大学に進学。
卒業論文制作のために訪れた重度心身障害者施設で知ったのが、理学療法士の仕事です。
障がい者に関わることを仕事にするなら、専門的な知識を持って関わった方がもっと寄り添えるのでは?と思い、大学卒業後、東京衛生学園に入学しました。

病院勤務を経て、青年海外協力隊に参加

リハビリ施行、技術指導 東京衛生学園を卒業後、4年間一般病院で働きました。転職を考えたときに、選択肢の中の1つにあったのが、青年海外協力隊です。
昔から「海外で暮らしてみたい」という思いもあったため、思い切って応募してみると…通過。語学研修を経て、配属されたのはマレーシアでした。

活動内容は、現地の心身障害児者通所施設の職員に向けてリハビリ技術の指導をすること、そして各地域にいる障がい児者へリハビリを施行することでした。
はじめは、語学力のなさに悩みました。職員や患者さんの言っていることは理解できるのですが、症状やリハビリ内容について説明するのにかなり苦労しました。
しかし、リハビリを必要としている方はたくさんいて、「あの地域に障がい者がいる」と聞けばそこへ行ってリハビリを行い、また新たな情報を聞いて別の地域へ…と、バックパックを背負って各地域を行ったり来たりすることもありました。
もちろんリハビリ機器はありません。自分の手だけでリハビリを行います。家のドアをノックして、「理学療法士です。リハビリします」と村の人達に声をかけ、リハビリを必要としている人を探し、開拓していく―――やりがいの大きい仕事でした。

マレーシアの理学療法について

保護者へのリハビリ講習会 青年海外協力隊での活動は3年続きました。過ごしていく中で、マレーシアの理学療法に疑問を感じていました。
マレーシアの理学療法士の数は足りていません。現地の理学療法士は、患者の身体に触ることなく機器をあててリハビリ終了、といったようなケースも多く、中には「リハビリしたってどうせ良くならない」と思っている方もいました。
青年海外協力隊での活動は、やりがいがあり楽しかったですが、国際協力の活動である上、現地の公務員にあたるので、ボランティアや協力隊以外の活動を制限されることも多く、もどかしさを感じることもありました。

帰国後、今度は単身マレーシアへ

NGOイベント補助 青年海外協力隊の活動を終え、一度帰国。当時(恐らく今も)、マレーシアには訪問リハビリがありませんでした。マレーシアで訪問リハビリをやってみようと思い、半年の準備期間を経て、再びマレーシアへ。
青年海外協力隊の時にはできなかったNGOの支援に関わることもできました。しかし、はじめから訪問リハビリの仕事があるわけもなく、現地の福祉機器の販売会社に理学療法士として働いたり、名刺を作って売り込んだりと、この時は生計を立てるのに苦労しました。

訪問リハビリ、初めての依頼~軌道にのるまで

NGO障害者キャンプ補助、自閉症啓発イベント 障がい者支援のボランティアの繋がりから、初めて訪問リハビリの依頼がありました。この患者さんのことは今でもよく覚えています。

頚髄損傷で身体が動かず、受傷後から2年間2階の自室から出たことのない方でした。リハビリを希望したのは「娘の結婚式に出たい」という思いから。長期間寝たきりだったせいで、起き上がるだけで血圧が下がり、数分で気分が悪くなってしまいます。リハビリを重ね、徐々に起き上がる時間を長くしていき、いよいよ結婚式当日。「一緒について来て欲しい」と言われ、結婚式に同行することに。患者さんは披露宴が終わるまでずっと座り続けることができ、娘さんの晴れ姿を無事に見届けることができました。リハビリの場だけでなく実生活の場での成果(改善)を見られることは、理学療法士冥利に尽きます。

その後は、口コミで広がっていき、知らない人からリハビリ依頼の電話がかかってくるようになりました。訪問リハビリも軌道にのり、週6日、1日6~8件の家を回るようになりました。
訪問リハビリと同時進行でNGOの支援にも携わり、障がい者の自立・就労支援などの活動にも参加。現地の人達と信頼関係を築きながら、7年間マレーシアで暮らしました。

そして現在―――今は東京都新島村の職員、理学療法士として働いています

新島村さわやか健康センター 2年前、日本に帰国。今は東京都新島村の職員(理学療法士)として、新島村さわやか健康センターに勤務しています。
新島村さわやか健康センターは、各地域にある保健センターのようなところ。「健康増進事業」「介護予防事業」「運動療法指導」の3本柱をメインに仕事をしています。「健康増進事業」「介護予防事業」では、主に高齢者に対し体操教室の指導をしています。例えば、月2回開催される「若返り体操教室」は、65歳以上の一般高齢者を対象にした教室で、身体機能の運動の他、認知症予防プログラムも行っています。保健師や管理栄養士も勤務しているので、連携を取りながら体操以外のプログラムを組むこともあります。
「運動療法指導」では、診療所の医師からリハビリの要請があった場合リハビリを行ったり、ヘルパーの訪問に同行して、リハビリメニューの作成やリハビリ指導したりしています。

新島村唯一の理学療法士。島ならではの特徴

利用者さん達 新島村の人口は約3,000人、高齢化率は約34%です。2016年現在、日本全体の高齢化率は約26%ですから、新島村はかなり高齢化が進んでいます。高齢者サポートの取り組みに注目されているエリアでもあります。
専門職として勤務していますが、役場の一職員ですので電話応対や事務処理をすることもあります。村のイベント運営に協力する機会も多いです。また、利用者さんに季節を感じてもらおうと、季節毎の展示も製作したりとリハビリ以外の仕事も楽しんで取り組んでいます。
新島村で働く理学療法士は、私一人です。一人ひとりの日常に寄り添ったサポートができるのは島ならではの特徴だと思います。職場を出ても利用者さんはご近所ですし、ご家族と話す機会も多く、そこから情報を得てリハビリに結び付くこともあります。ひとりひとりをトータルで診られるという点は、マレーシアの時と少し似ているかもしれません。

新島村での暮らし

新島の海 やはり海が綺麗です。今年の夏はSUP(スタンドアップパドルサーフィン)に挑戦しました。海で獲った魚や貝でBBQをしたり、無料の温泉に入ったりと、休みの日はのんびり過ごしています。

これから理学療法士をめざす方へ

モヤイ像と海 病院や施設にいると、患者さんはいて当然のように感じますが、マレーシアでの経験を通して、患者さんは自分から探しに行く、呼んでくるという意識に変わりました。
病院や医療施設で働くだけが理学療法士ではありません。知識や技術、資格を活かしての起業、海外で活動することもできます。
理学療法士は資格を取ることがゴールではなく、自己研鑽を重ね、活躍の幅を広げていって欲しいと思います。