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【東洋ブログ 大希のつぶやき】仁和寺と『医心方』
2025年12月02日大希のつぶやき
3連休の真ん中で、艾屋さんの「亀屋左京商店」さんに艾工場見学をしてきたことは、ブログでお知らせしました。で、せっかく足をのばしたので、米原で一泊して、翌日京都に行ってきました。
朝一で米原から京都へ移動。そして、この時期の京都は観光客でごった返していますので、目的地までは時間に確実な電車&徒歩で移動です。まずは新幹線と電車で、米原→京都→花園と移動。そして花園から歩きます。歩くこと数十分、目的地近くの駅が見えてきました。

拡大すると…。

ってことで、目的地は仁和寺(にんなじ)です。京都を代表する格式高いお寺であり、歴史、建築、そして自然の美しさから「世界遺産」にも登録されています。そして、鍼灸師にとっても特別な場所です。
見えてきました。

どどーん。朝日を浴びてます。

天気がいまいちでしたが、紅葉もいい感じ。

って、目的は紅葉ではないです。よーくみると看板に「名宝展開催中」の文字が。

じゃーん!「国宝 医心方の世界」です。

拝観料500円を支払うと、チラシがいただけます。仁和寺霊宝館 秋季名宝展!

こちらは裏側。

『医心方(いしんぽう)』を知らない人の為にザックリと解説しましょう。
『医心方』とは、日本における現存する最古の医書です。平安時代の中期(天元五年、西暦982年)から鍼博士の丹波康頼(たんばの やすより:912年-995年)が、中国の隋・唐時代の医学書や養生書約200種以上から、医学知識、養生法、薬物、鍼灸、房中など幅広い内容を引用・編集したもので、全30巻からなります。
写真:奥に見えるのが「霊宝館」です。小さいか…。
永観二年(984年)に編集が終わり、円融天皇(えんゆうてんのう)に献上され(献上原本)、その後、長らく宮中に保管されていたと考えられますが、時の流れの中で散逸してしまったと考えられております。悲しいけどそういうものなのかな。
よって、現存する『医心方』は写本なのですが、その中で最も古いのは、丹波家とならんで有名な医家の家系である半井家(なからいけ)に伝わったもの(半井家本)となります。宮中に保管されてきた『医心方』の写本が、16世紀半ばの室町時代末期(1554年)に正親町天皇(おおぎまちてんのう)から典薬頭(てんやくのかみ:宮中の医療・薬園などを管轄した役所の長官)を務めた半井家に下賜(かし:身分の高い人が低い人に物を与えること)され、保管されてきたと言われています。
半井家本は、全30巻と別本1冊(計31件)から構成される国宝指定の写本群ですが、その全てが一度に書写されたものではなく、27巻が平安時代に書写されており、そのうち25巻は、奥書などから具体的に天養2年(1145年)の書写であることがわかっています。残りが鎌倉時代の1巻と、江戸時代の2巻と別冊1冊となります。現在は、文化庁が所有し、東京国立博物館に保管されています。
写真:拡大!「霊宝館」の文字が見えます。

この半井家本と別の写本が仁和寺にも伝わりました!ってことで仁和寺登場です。
仁和寺には、古くから医学の研究と実践を行ってきた附属の寺院(院家)である心蓮院(しんれんいん)がありました。心蓮院は、代々、官医や医者から医学書を寄進してもらったり、寺院内で積極的に写本を作成したりして、体系的に医学書を収集していました。この心蓮院が集めていた医学書群の中に、『医心方』の写本も含まれており、現在、国宝として伝わる「仁和寺本」はその一部であるとされています。そして、現在、仁和寺が代々受け継いできた貴重な寺宝を管理・公開するための施設として昭和2年(1927年)に建築された「霊宝館」にて展示されている、ということです。










